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2012年2月 3日 (金)

手のこと

遠く暮らす息子が帰ってくるというので

布団や枕を干したり

シーツや毛布を整えて

寝床を作っていたら

どこからかもう一人の私がひょっこりと出てきて

「甘やかしてるね」と言った。

大好きな肉じゃがでも作っておこうと

じゃがいもをむいていると

また声がする。

「甘やかしてるね。」

ちょっとからかうようなその声に

「いいやん、甘やかしたって。」

と言い返す。

たたむ、広げる、

洗う、むく

誰かのためにする手仕事ほど

幸せなものはない。

「甘やかしてるね」

息子を?

いえいえ、私を。

早瀬の冷たい川を

小さなボートに共に乗り

一緒に下ってくれた人が

去年のクリスマス前に亡くなった。

同い年のその彼はかつて

ホウレンソウを摘みながら花束にし

赤い手袋とプレゼントしてくれて

大きな船と比べたり、

舵取りの重責に打ちのめされてた私に

「あなたはあなた、で、いいじゃないですか。」と

にっこり笑ってふんわりと言ってくれた。

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私の手は節がたちしわも増えた。

大したことはできないし

たくさんのこともできないけれど

日々の大事なものを繋ぐことはできると思って

こぶしを作っては開いてみたりした。

手の平を合わせ白い息を吹きかけて温めて

赤い手袋をはめる。

一息吸って空を見る。

きりっとした青空

応えるように笑顔を作ってみる。

一息大きく吐いて、

エンジンをかけた。

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2012年1月31日 (火)

早朝のヒヤシンス

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純粋な心の

あなたが

すき

ぴりりとした

冬の早朝に

射しこむ一筋の

光のような

ひたむきさ

まっすぐさ

高い志

不純な心の

あなたは

きらい

冬の早朝の

愚図として抜け出せない

布団のような

けじめなさ

あいまいさ

身勝手さ

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たとえばむかし

純粋だと思い詰めていた初恋の隙間に

不純さというものがあったと

気付いたことがあったでしょう?

たとえばあのとき

「生きて」と「死んで」を

同じ切実さで

願ってしまっていることに

愕然としてしまったのでしょう?

その他のときにも

幾度も

幾度も

その度ごとに

あなたではない人の立場に

立てないということを

思い知ってきたでしょう?

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そんな風に

純粋とはいえないものたちに気づき

付き合ってきたでしょう?

手なづけたり

振りはらったり

すり寄ってみたり

無視したりして

いくつもの

いくつもの夜を共にした

そうして今朝

まどろみの早朝

白く冷たい空気の中に

ふわりと香った

ヒヤシンス

丸い甘い香りを嗅いで

ぺたぺたと裸足で

縁側に佇んでしまったあなた

不純な心と付き合っていた

惨めだったあなたのことを

今や

ずっと愛おしい

不純さを持つことは

純粋さの一部だということに

気づいたあなたを

純粋な心で

ぎゅっと抱きしめたい

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2012年1月23日 (月)

防日区隔室

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船には

防水区隔室があるという

船首と船尾の大隔壁を

ボタンを押して

鉄の扉をガシャーンと下ろして

ぴたりと閉じる

安全を確保するために

水の侵入を防ぐために

転じて

「防日区隔室」

人生のどの段階にあっても

昨日の扉と

明日の扉を閉ざし

今日、今という「この瞬間」を

区隔して今を確保する

死んだ昨日も

まだ生れぬ明日も

ボタン一つで閉ざさねばならない

金属製の扉で

そうすれば安全なのだ

この区隔室は護られている

昨日の重荷と明日の重荷から

夢や幻や甘い空想の楼閣を遠ざけ

24時間の範囲で

すべきことを

教えてくれるのだ

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かつて

今まで

折に触れ

「今を一生懸命に生きるだけさ」

「昨日のことは昨日に

明日のことは明日に

まかせればいいんだ」

というようなことを

あるいはケセラセラというようなことを

明日は明日の風が吹くとか

いろんな言い方で聞いて

そのたびに

その真実を思い

そうありたいと願って

イタリアにも行った(あの国民性!)

一人にもなってみたし

目を閉じ祈ってもみた

春の柳に

夏の竹に

秋の紅葉に

冬の落ち葉に

しなる強さ

変わる美しさ

枯れる潔さを

学ぼうとしていた

そうして孤独を飼いならし

自分を取り巻く環境を工夫して

自分の心の平静を保ちたいと

願った

なぜならば

それこそが私に求められる

その時々におかれた立場での

どんな事業するにしても

基礎的な基礎的な資質だと

知っていて

弱さに

絶えずうめいたいたから

求めていた

だからだったのか

この先を行く

すがる杖として与えられたのか

ついに出会った

オスラー博士(日野原重明訳)の「平静の心」のなかで

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「防日区隔室」

このイメージは

私の中で

今までにないすごい平和ともに

ストンと落ちてきた

ああ、と

ああ、そうなんだと

この温もり

この部屋のイメージを

なんと言えばいいだろう

適度に広く

シンプルで清潔で

適温に保たれ

過不足なく満たされている

私はそこに

肩を下して胸を張り

背筋を伸ばし下腹を軽くしめ

顎を引き目を閉じて

すくと立つ

すると見えることだろう

心の目が開くことだろう

そして今すべきことが

一目で判ることだろう

360度広がる

真っ青な大海原を前にして

勇敢な気持ちで立つことだろう

「防日区隔室」にいるのだから

備えは万全

後は神様の御心だ

宇宙の御心だ

大きく息をするたびに

私は宇宙と繋がるのだから

未来はまさに

今ここに

この部屋にあるとわかることだろう

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どんなときにも思い出そうと思う

窮地に落ち入ったときにこそ

ボタン一つで

私は

この部屋にいることができる

昨日にも明日にも

もう侵入させない

じわじわと浸水されたりしない

未来は今日、救いの日は今

そうだとも!

ボタン一つで

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2012年1月10日 (火)

成人式/こなし製 

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3人兄弟、

末っ子がついに成人となった。

お祝にというか、

かこつけてというか、

当の本人は式典参加でいないのに、

北野天満宮の梅に見立てた

「老松」のこなし生菓子「神の梅」をいただいた。

睦月、一月のお菓子だそうで、

紅くて、中は白いこしあんで

なんとも華やかでお目出たい。

さわやかにあっさり甘い餡

もっちりして柔らかい

一つ一つが芸術品のように美しい

「こなし」のお菓子が大好きだ。

「こなし」は「熟す」と書くらしい。

固いものを柔らかく、

自由自在に操り、

美しく、

美味しく、

形成できるようになるには

長い修行が必要で、

「こなし」ができるようになって一人前と言われるとのこと。

成人式が大人の入り口だとしても、

本当の大人になるのは大変だ。

これから

たくさんの経験をして

潰して漉して練って丸めて

「こなし」修行、

がんばろうね。

私も心新たに精進しなくちゃ、と思った。

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2012年1月 5日 (木)

真夜中の初詣/八百万の神

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新しい年が明けました。

元旦は施設でお年寄りとお雑煮を祝い、

二日、三日は

子供たちや兄妹達が順に帰ってきて、

おさんどん、おさんどん。

一息ついたのは三日の夜中でした。

お酒を過ごしてうたた寝している弟や、

テレビに見入っている娘に留守を頼み、

夫と息子二人に護衛してもらって、

真夜中の初詣、

氏神様にお参りに行きました。

昼間は人出で寄り付けない神社も

真夜中は人っ子ひとりなく、

静寂に包まれていて

おごそかで

身の引き締まる空気に満ちていて、

「八百万の神」

という言葉が浮かびました。

夜風にごうごうと揺れている黒い楓の木々。

うっすら流れる煙のような白い雲、

向かい風に顔を上げ

空を見上げたその時

今、宇宙と繋がっている、と直感しました。

あの気持ちを

どう書けばいいのでしょうか。

鼻を抜けていく息を通して

宇宙と繋がっっているという感じ。

一歩一歩、

宇宙を歩いている、みたいな。

境内の奥にある

「子供のころ通った道場を見に行くんだ」と、

ふざけながら前を走って行く息子達、

「やぁぁぁー!! 面ぇーーん!!」「こてぇーー!」

勝って笑顔、負けて悔しいとべそをかいて。

週三回

春夏秋冬

三人を車に乗せて通った日々。

次男は当時まだおくるみの中にいた。

春夏秋冬

春夏秋冬

娘の赤胴、ネズミの尻尾のような三つ編み。

竹刀の音、手ぬぐいの汗

ばちばちばちばち

ペタペタペタ

たたたたた、

どどどどドーと、

走る走る、駆け抜ける。

次男の短い袴、ぐりぐり頭。

痛いよ、

怖いよ、

暑いよ、

寒いよ、

冷たいよ、

春夏秋冬

春夏秋冬

ささ、

さささ、

ささ、

さささ、

「っ面ーー!!」

長男の飛び込み面

2段になった時の笑顔

春夏秋冬

春夏秋冬

「やぁやぁやぁ、面ーーん!!」

「やぁやぁやぁ、面ーーん!!」

今にも

幼い声が聞こえてくる。

声変わりをして

しゃがれた声も聞こえてくる。

あんなこと、こんなことと、

来し26年の映像がパラパラとめくられ、

からだ全身が

おいおいと揺れどよめいて

哀しいような

うれしいような

泣きたいような

気持ちになりました。

神様の前に進み出て

静寂に気おくれしながらも

ガラン、ガランと大きな鈴を鳴らし、

パンパンとかしわ手を打って

手を合わす。

何を願がえばいいのか、

頭の中で言葉をさがしてしまう。

年末まで

いや、さっきまで心乱していたあのことも

この先どうなるかという漠とした不安も

どんなことも

あれもこれもみな

些細なことと思えた。

この瞬間、

私は

「乗り越えていく力」を授かっていた。

だからその感謝と健康を祈った。

ぐるりと境内を見渡し、

空を仰ぐ。

真黒な木々がざわめく。

頬と耳が

目が

唇が

風に洗われてゆく。

息が空に繋がる。

鎮守の森

「八百万の神」のおわすところ。

その気になれば

どこででも

「八百万の神」を感じることができるんだ、と

そうだったと、思い出す。

子供たちも巣立った今、

これから、この先、

私にできることはなんだろう。

「やぁやぁやぁ、面!」

「やぁやぁやぁ」

私にしかできないことを見つけたい。

そうして今年を、明日を、今日を、今を

気持ちよく生きていきたい、と

心から思った。

今年もどうぞよろしくお願いします。

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2011年12月28日 (水)

「母屋」/とっておきのおせち

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あれよあれよで、

気がつけば28日、すっかり年の瀬で

スーパーなども

おせちの食材や正月飾りであふれていて、

とたんに、焦る。

今年は両親の5回3回の法要を期に

夫は長男として実家に戻ることを決め、

「母屋」になってしまったので

これまでの気ままなお正月では済みそうにない。

で、おせち。

例年は、子供たちが好きな栗きんとんやカモロース、

黒豆さんの炊いたんとか中心の

かたよったおせちしか作ってなかった私は、

またもや焦る。

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実家の母は生粋の昭和の女の上に、

料理が上手だ。

どういうことかと言うと、、

明治生まれのお舅さんお姑さんに

関白な父に

仕えるのを当然とし、

23歳で商家に嫁いで来て以来、

3世代の家族の食事を一手に回し

不意に父が連れ込む来客者接待ご飯とか、

かいがいしく気遣い、

まめに立ち働きする人だったので、

私達娘子供はその末席にあって

(子供はいつも最後という世代)

しかし当然のようにして

その恩恵(今となってはそう言わねばならない)

を受けて育った。

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昨今は母も歳を取り、

父と二人の暮らしでは

全盛期のようなおせちはもう作らないが、

それでも新年に帰ると、

鯛の子の炊いたん、棒だら、ごまめ、

父の好きな数の子やたたき牛蒡など

小ぶりのお重箱に絵画のように整えていて、

唖然として感動する。

そのお重箱は主に父用らしく、

私達娘、孫達のためには冷蔵庫に所狭しと

タッパーに詰められたおせち料理の補充の数々が

用意されていてまた感動する。

娘達、お婿さん達、孫達皆それぞれの好物を

味の好みや調理具合を熟知していて、

しかも「好きなだけ食べてもいいんだよ」

という、天国までついている。

母はいつもこうして「待っていてくれてる」

いつふらりとやってくるかもしれない

勝手きままな娘家族だというのに。

お重箱から漂う香り、お燗の湯気・・障子、御仏壇。

その場面を思い出す時、

そこにそうしていながら

子供時代の私がいるのが見える。

でもそれはすでに何故か知らない子みたいで、

私を訝しげに見てたりする。

同時に今は亡き祖父や祖母の笑顔も思い出して、

なんとも言えない気持ちになる。

母の料理にはいつも絶妙な配分で

季節の柚子の皮が散らしてあったり、

昆布やタカのつめ、クチナシの実とか

下準備の手間が分からないような

隠し味がなされていたり、

緑の色止めの鮮やかなお浸しが

箸やすめで出てきたり、

自分で拵えるようになって

その長年で培われた味はもちろん

食事という時間の作り方の深さを思う。

母には母なりの毎年のチャレンジ課題があって、

黒豆さんとごまめ、棒だらの三品は特に気合いを入れる。

それは買い出しというか食材の選定から始まり、

「もう足が悪くなったから、

今年は○○さんまではよう行かんかったわ。」

とか、

「うっかり忘れてしもて・・。」

とか、

その時の母ながらに、できる限りの

こだわりとともに作られている。

そうして出来上がったそれらを先ず父が食べて

お正月に帰ってくる私達それぞれに

「今年のはうまいで~~」とか

「去年は上手に炊きよったんやけどな」「どうや?」

「お母さんもな、歳とりよったからなぁ・・。」

などと、子供たちに説明つきで勧め、

「今年のこれはうまいが、これはもひとつやった」と評し、

それを受けて母が、

「来年はもう少し上手にするわ、ちょっとわかったことあるし。」

という定例台詞で終わりになるのだが、

いくらパターン化してるやり取りとはいえ、

母はまだ本気で進化中なのだ。えらい!

私達、きょーびの娘どもは

どれもこれも素晴らしくおいしいのだけども。

そう言うと、父は

「お前らはまだまだ味がわかってへんな、

お母さんに何を教えてもろたんや。」

などと言い、

母自慢なのか説教なのか、いやのろけ?を聞くはめになる。

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京都の錦市場はすでにいっぱいの人出だし、

観光客もいっぱいで、

昔の年の瀬の雰囲気とは変わったが、

棒だらを吟味して買ってみた。

大好きなのに

いつまでたっても母のようには炊けないが、

ここはひとつ「母屋」となったからには

私としても「母屋のおせち」なるものを

遅ればせながら築きたい。

ああだ、こうだ、と言われながら、

いつか母のおせちのように

とっておきのおせちとして

「母屋の味」として認可されたいなぁと思った。

がんばります!

そして娘としては母にはできるだけ

ほんと、できるだけ長く

作り続けて欲しいと願ってしまう。

そんなことを思いながら

師走の錦通りから三条まで娘と歩き、

「キルフェボン」のいちごタルトを並んで買って

帰えりました。

おせちのお手伝いしてね、ばればれ?!

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2011年12月26日 (月)

マイセンのイヤーズカップ/いつものように

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6年前、

夫が私へのクリスマスプレゼントというか

お歳暮?というような感じで集め出した

マイセンのイヤーズカップ、

毎年年末のこの時期に

一つずつ新しいのが増えて

ついに今年最後の一客がそろった。

つまりいつの間にか、

6年の月日が流れたわけです。

6年の間には当然

いろいろなことがあった。

世の中も政治も制度とかも変化たし、

大きな出来事もあった。

私ごととしてざっと振り返ってみても

プライベートでは

子供たち3人は順番にみな成人して

長男は独立して一人暮らしを始め、

長女も就職、

次男も遠くの大学で学ぶため下宿生活、

その間に夫の両親を相次いで見送り、

引っ越しもしたし、

念願のイタリアにも行った。

仕事の方もいやおうなく佳境で

事業所を新しくオープンさせたし、

記念行事を開催したり、

その間に施設のお年寄りの数人との

お別れもあった。

あわただしく、息つく間もなく、

でも一つずつ、

行く手に現れた一つずつのことを、

その時にできるベストで

丁寧にしてきた、と言えると

怒涛の6年を思った。

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今年のカップは細身の背の高いカップ。

まるで昨日の浅田真央選手のように

姿がよくて白くてとても優雅だ。

「いつものように」という言葉を胸に

闘ったという浅田選手。

いつもとは言えない時に「いつものように」と。

自ら主体的に「いつものように」と。

いつも・・、

「いつものように」することは本当に難しい。

私などは「いつも」ということ自体が

ついつい不安定になる中で、

「いつも」あるべき「私」の形を

いつも!

周りの人たちに作ってもらってきた言える。

母として妻として嫁として娘として

そして働く一人の人として。

どの自分もしっかりしてなくて、

全く情けないな~~と

浅田選手の演技を見ながら、

心から拍手する思いでいっぱいになった。

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マイセンのコーナーには

今年のカップと同じ形の無地のタイプがあった。

少し厚手の感じで

手触りに温かみがある。

寡黙な無地生地が

夫のようだ、と思って一緒に購入した。

5人だったり7人だったりした家族も

今では娘と3人暮らしで、

ともすれば夫と二人の朝が増えた。

お互いばたばたの時差出勤、

早朝のコーヒーをゆっくり楽しむ余裕はないが、

しばらくこのカップたちを使おうと思っている。

いろんなことがあったけど、

そしてこれからももっと

いろんなことが待ってるだろうけど、

いつも主体的とはいえなくても、

なし崩し的にだったとしても、

それらを超えて

「いつものように」という感じは

小さな繰り返しの連続が生む自信だ。

ありがたくて

強くて

少し誇らしくて

そのおかげで

また進む、という力が湧いてくるのです。

http://futti-futti.cocolog-nifty.com/kirakira/2008/01/post_3774.html

2011年12月21日 (水)

in函館 「寒さ」にあるもの

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函館は想像以上に

幸せが集まったような街だった。

人は穏やかで気さくで親しみやすく

海は深く蒼く

空は広く果てしない。

関西から来たと言うと

「寒いっしょう?今日はでも温かいくらいなんだよ。」

と、

どうだ!と言わんばかりにみな一様に教えてくれる。

きっと雪も、風も、

これからは本格的で

昔スキーで何度も訪れた雪国のような

あの閉ざされたような真っ白の

冬が来るのだろう。

寒い木枯らしの北の街は

だからみな寄り添って温かく暮らし、

温もりを育む土壌ができたのかな、と思う。

が、京都の冬もめっちゃ「寒い」。

多分寒さの種類が違うのだけれど、

凍えるというより「冷える」という類のもので、

芯が冷える、「底冷え」などと言うのだけど、

足元から腰のあたりから

ズシリズシリという感じで忍び寄り

体をのっとるみたいな、

体表より体内に働きかける寒さだと思う。

函館の寒さを

みんなでしのぐ寒さだとすれば、

京都のそれは、

一人で耐える寒さ、

と言ってもいいかもしれない。

一人で凌ぐことを潔しというように強がり、 

ええかっこしいで

ツンと立っているふしがあるし、

それを共通認識していて

その意地を大事にし合う風土と言える。

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いずれにしても人は、

あらゆる「寒さ」に対して

備え、凌がなければならなし、

その中で生まれてくる

「力」のようなものが、

「愛」なのだと気づいた。

みんなとであれ、

たった一人で、であれ。

夫や家族との間に、

あるいは仕事場の仲間との間に

自分自身の中に

それは確実に生まれ

いつしか結ぶ「力」となる。

負の要因を

共に乗り越えたという事実で。

「愛」だなんて、大げさでキザかもしれないが、

こういうことを表す言葉を他に知らない。

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寒いとき

人は人を恋う。

手を包む温もりを欲し、

心の寄り添いを求める。

寒くない時は

人は人の愛を忘れがちで

贅沢に慣れた愚か者のようだ。

私が、

時々、

寒い季節を選んで

寒い場所を

旅したくなるのは

心のどこかで

きちんと

今ある「愛」を感じたいからだと思う。

そんな手間暇をかけなければ思い出せないなんて

全く、なってないな、とは思うのだけど。

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もうすぐまた新しい年が明ける。

最近は誕生日より元旦に

ああ、一つ歳をとったなと思うんだけど、

それは施設で一緒に過ごしている

父母や祖父母世代のお年寄りの感覚だ。

彼らと毎年共に元旦を祝いながら、

「おめでとう」の寿ぎの言葉に

晴れがましさと同居する不安を

私もまた自分のこととして知ってしまった。

でも、

だから、

そこに、

こうして、

「愛」がうまれるのだ。

函館は私にそう教えてくれた。

2011年12月20日 (火)

in函館 ⑤蟹・かに・カニとホタテ三昧

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函館朝市、ここで「うに丼」を食べ

蟹を買うというのが

今回の母娘の大きな使命?でした。

いざ朝市へ!!

たくさんのお店の声かけ、

立ちはだかり?

味見勧誘を通り抜け

どこで買うかが決め切れず、

曖昧に振り切り、

結局最初のお店、「大和水産」さんで

ズワイ、タラバ、毛ガニ、買いました。

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カールスモーキーさんに似たイケメンの

話好きのおもろいおにいさんに

魅了された!というのが

実は決定打と言っていいでしょう。

彼は朝市の歩き方を指南してくれていて、

味見、おまけのこと、

あと水槽のあるお店かどうか等、

ポイントを教えてくれたのですが、

ここのお店(大和水産さん)は

一緒に蟹を選び(番号のタグがつている)

いつ、どのように送るかを一緒に決め、

送料無料で送ってくれるというサービスを

やっていはります。

帰ってから送られてきた蟹が、

あの時のあの蟹だよ!という信頼を

限りなく実現しようという意気込みが

なんだかいいじゃないですか!

それに男前だし、

あんまり似てはるんで

浪漫飛行を歌ってくれなどと言いだす始末でした。

(カールスモーキー石井さんは大好き)

蟹の揃いぶみを購入したおまけに

ホタテもおまけに付けて送ってくれるとのこと。

やった~~!!です。

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今回の蟹のお土産は

お留守番の夫と息子①②への

いわゆる贖罪というか

「私らだけで行ってごめんね」なので、

張り込みました!

ここは、バン!!!っと。

で、約束通り息子たちが帰ってくる日曜日配達指定で、

来ましたよ~~茹でたてが。

ジャ~~ン!!

真っ赤に茹であがったむっちりの蟹たち。

ズワイもタラバも毛ガニも全部欲しいという私に、

「何人で食べるの?残ったら冷凍にしてお正月もいけるからね」

と言ってくれたカールスモーキーさんのアドバイスも不要かな?

あっという間にズワイとタラバがやられました。

あとは毛ガニを残すのみ・・

時間の問題・・です。

もちろんホタテもあっちゅう間。

甘くてみずみずしくて

海の香りがいっぱい。

ありがとうカールスモーキーさん。

「茹でたてを送って上げる」と言ってくれてた蟹というのは

こういう蟹のことだったんだんだと。

ほんとうに現地で味見した通りで、

うれしかったです。

もしか今度また買うときは

カールスモーキーさに頼もうと娘と言い合い、

お土産・・・なんて言いつつしっかり食したのでした。

だって実は現地では食べれなかったから。

なんて言い訳、

やっぱ美味しい物を前に贖罪も何もあったもんじゃない。とほほ。

2011年12月16日 (金)

in函館 ④究極のじゃがバター

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じゃがいもが大好きです。

炭水化物だということで・・何か?

バターがそれよりももっと好きです。

脂肪のかたまりだよ・・で、何か?

食養生というか、

大好きな居酒屋メニューなのに、

このところ長い間オーダーするのに

うっすら罪悪感を感じてしまい、

「お腹ふくれて後何にも食べれなくなるし・・」なんて、

言い訳しつつ目の隅においやって、

まるで、

「じゃがバターなんて卒業よ!」

「高校生じゃあるまいし。」

などと気取って痩せ我慢していたところに、

ここは北海道やん!!じゃがいもにバター、

当然「食べるべきよ~~」

と、正面からじゃがバターを食べれる!

という見事な言い訳、根拠を得た私は、

函館ビール館http://www.hakodate-factory.com/beer/で、

開口一番に「じゃがバター」をオーダーした。

好きだからと言って

いっぱい食べても大丈夫!

というような歳では

哀しいかななくなってきたが、

ここはなるようになるさ、

好きなものは好き。

大体、じゃがバターの

あのホックリとして、こっくりとして

包まれているような安心感のある味に

思わず和まない人はない、と言いたい。

「キタアカリ」「男爵」のじゃがバター、

正に北海道!

さぞや美味しかろうと待つことしばし。

出てきたじゃがバターはイメージ通り、

たっぷりバターのトッピング!

・・?・・に加えて、

なんと京都では考えられない、

「いかの塩辛」が添えられて登場!

え~~~っ!!

こんな食べ方するんやぁ~~と、

「いかの塩辛」も大~~好き

(母娘ともに呑んべえです)

早速ワクワク、ふかし立てのじゃがいもに

バターたっぷり、塩辛のせてパクリ!

「うんまぁ~~~~~~!!!!!!」

「めっちゃ、うんまぁ~~!!!」

二人顔を見合わせてしばし恍惚。

で、

このお店だけのサービスかと思いきや、

他店のメニューも確認したところ、

当然のように

「いかの塩辛」付きの写真入りで載ってる。

「そうか~~目から鱗やわ~~。」

「やってみいひんよな~~・・」

などど母娘は感動しきり、

これからは絶対こうして食べようと

言いあったのでした。

ちなみにバターはトラピストバターで、

バター好きとしては、どうしても、

じゃがいも、バター、バター、塩辛

という配分で食べてしまうので

当然バターが足りなくなる。

追加をお願いしたら

大さじ2、くらいの量で「200円」とのこと。

ああ、バターよ、黄金の栄養よ、

ここは堂々と

じゃがバターを食べれるチャンスなのだ!

からして、思いっきり

思い残すことなく

食べつくしたいではないか。

そう、人目と良心さえ無視したら

一缶でも二缶でものせたいところなんだもの。

全く、上等なバターは

それ自体がそもそも美味しくて

滋養に満ちているという感じで抗えない、

肌も骨もツヤツヤになるに違いない。

一瞬躊躇も、追加オーダーで、

贅沢なじゃがバターになってしまったが、

これでこそ正真正銘のじゃがバター。

じゃがバターの本来あるべき食べ方だと反省。

私はじゃがバターに対して失礼をしていたよ。

今度じゃがバターをどこかで食べるにしても、

(もう居酒屋であえて避けたりしない)

正面からしっかり腹を決めて食べよう、ということも

心にきめたのでした。

ありがとう、

塩辛じゃがバター

君に出会えてほんとよかった。

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