2008年11月23日 (日)

何もなくなっても。

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ごぶさたしています。

お変わりないですか。

秋も深くなりました。

木の葉の色が美しく、

一雨ごとに美しく、

美しく、

哀しいくらいに美しい、

そんなこの頃です。

朝露のアスファルトに白く

遠く霞む比叡の山の蒼に

赤い楓の葉の紅に

黄色い銀杏の葉の影に

ワイン色の蔦の葉の紫に

あなたの面影を探している私です。

裏腹に

足早に過ぎ去っていく日々は

まるで人ごとのようで、

振り返っては

びっくりしてしまいます。

あなたのいない二つの季節が

過ぎてゆこうとしています。

私は今日も

1.2.1.2・・・と、

走っています。

吐く息に、

踏み出す一歩に、

命の形をみています。

もし、

仕事もなくなって、

お金もなくなって、

あなたも私の元を去り、

誰にも

自分にも

なにも期待さえれなくなったならば、

さて、どうしているだろう、と。

そんなことを思いながら走っています。

身一つで、

走る。

しんどくなれば歩いてもいいよと、

自分に言い聞かせ、

今日もとりあえず走り出す。

それは人生のすべてなのかもしれないと、

そんなことを思います。

今私の持っている、

こだわりの愛着あるものたち、

それらがもたらしてくれた恩恵が

ある日突然無くなったとしたら・・・と。

走りながら思います、

それでも生きていけるかもしれないと、

思える何かをつかみかけています。

仕事に敗れても、

夢に挫折しても、

手足が動かなくなっても。

どんなにのろくても、

前に一歩踏み出し続けることは

自信という見えない力を生む。

お金や権力より

それは確かな力だと気づきかけています。

何もなくなっても。

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2008年10月11日 (土)

「再会」で・・2017

懐かしい人

懐かしい場所

懐かしい時間に

「再会」、

電話を伝わる

懐かしい声

懐かしい空気

懐かしい私に

「再会」した。

突然に訪れた過去へタイムスリップした15分。

蔦の絡まる「再会」の記憶。

木のテーブルの感触。

あなたが飲むブラックコーヒーの香り。

氷を一つ入れる癖。

煙草の煙。

ハイソックスの女の子。

「何年ぶりかしら、え?十年ぶり?ですよね、

え~~?もう来年は還暦ですか。

でも、ああ、お元気そうでよかった。」

「そう、還暦なんだ、あなたも元気みたいだね。

近いうちに一度会いたいね。」

「ええ、そうですね、是非お会いしたいな。

「再会」で?」

「そうだね、「再会」で・・」

思い出と「再会」で・・。

http://www.kyoto-tv.com/kawazoicafe/saikai/saikai.html

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2008年9月15日 (月)

やさしさの技、勇気の術

6年うちに居る

ラブラドールのチョコの命の火が消えていく。

少しずつ確実にゆらゆらと。

春、顔の左半分に固まりができて、

五月には右前足にも同じ固まりができた。

片足を引きずり、遊んだ。

夏、歩けなくなって、

大好きな散歩に行けなくなった。

そしてそれからは庭にいて、

秋の初めのある日

ついに彼女は彼女の家から出れなくなって、

ご飯もあんまり食べなくなった。

昨日の夜、

どうやって出たのだろう、

家から出て、室外機の下のくぼみに

お尻からすっぽり入って

出られなくなっていた。

彼女はそこが好きだった。

ひんやりとしたちょうど彼女にぴったりのその空間が。

くったりと前に投げ出された両腕は力なく

右腕は固まりが裂けて、

血が流れ出て肉も見えていた。

呼ぶと、目だけでこちらを見て、

はぁはぁの息遣い。

くーん、くーん、と言う。

もう一人では出られそうにもない。

出してやらなくちゃ。

大好きなお肉で誘っても、

もう彼女は動けなかった。

はまったままで手からご飯を食べた。

大きな体はそのくぼみに

あまりにもぴったりとはまっていた。

家にいた息子②に、

「引っ張って出してやろう。」と言うと、

「かくれてるところがどうなっているかわからないし、

むやみに引っ張ったらよけいしんどくなるかもしれん。」

と言う。

確かに左後足は見えていたが、

お腹と右後足はすっかりくぼみの中にあって

どうなっているのかわからない。

「隙間から背中に手をまわして抱えてみようよ。(私)」

「無理に引っ張るとやばいかもやで?

胸が圧迫されてるし、うまくやらんと。

僕らが出していいか、先生に電話して聞くわ。(息子②)」

・・・繋がらない。

リダイヤルをしながら、

息子②は玄関のホールに、

ベッドをしつらえた。

庭に置いていた彼女の別荘、

大きなケージを運んできた。

私は息子②を手伝って

タオルケットを敷き、

水、ご飯、ゴム鞠を置いた。

その間も息子②は

「チョコ、チョコ。」と、名前を呼び、

「もうちょっと待ってな。もうちょっと待ってな。」と話しかけた。

三度目のコールでやっと連絡がつく。

「大丈夫、出してやって下さい、

運ぶときはタオルに乗せて・・・・・。そうすれば・・・。・・・」

息子②は先生に指示をもらっている。

そこへ息子①が帰ってきた。

私が事情経緯を話すと

息子①は現場に直行。

「タオル持ってきて~~!!!〇〇〇!(息子②の名前)。」

電話を切るやいなや

息子②タオルを持って急行も、

息子①はもうすでに彼女を抱きかかえていた。

あっという間の救出だった。

バスタオルを広げ担架にして

二人無言でホールに運び寝かせる。

「お前、力ないんな・・(笑)(息子①)」

「・・そうかもしれん・・(笑)(息子②)」

「あんたら二人、両極端!!(笑)(私)」

その夜はじめて笑った。

「もっと早くここに運んでやったらよかったんかな・・(私)」

「いや~、歩ける間は庭にいた方がよかったんやで・・(息子①、②)」

「そうやな。なぁ、☆☆☆(娘)にメール入れた方がいいかな・・(私)」

「う~ん、そやな~、けど、知らせんでいいんちがう・・?(息子①)」

「・・うん、帰ってきたらわかることやし、

今教えてもどうもできひんしなぁ・・。

一人で、きっと悲し過ぎるで、お姉。(息子②)」

「・・・・そやな・・ ・・・。

・・・なぁ、けど、☆☆☆(娘)がいたら、

ずっと抱いて一緒に寝るって言うやろうな・・。(私)」

「・・・そやな~~。きっと言うな~(笑)、

・・ま、代わりに僕の肉やるやん~!(笑)(息子①)」

「僕のも、ええで~♪(息子②)」

そんな会話を聞きながら、

息子②の作ったベッドに、

彼女は今体を横たえて、

目と耳で私達の声にかすかに応えている。

口元にお肉を持っていくと

食べたかった!と言わんばかりの表情を作って、

なんとか口に入れてくれる。

もう首を持ち上げるのもしんどいのに。ね。

ありがとうね。ありがとう。

ゆらゆらと彼女の命の火がゆれている。

ゆらゆらと思い出の日がゆれる。

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16日、

お昼過ぎ、

息子①からの連絡。

涙にならない悲しみというものが

あることを

あらためて知る。

受話器の中を

ゴォ~っと反響音を立てて

悲しみの川が流れる。

その轟音の中で、

私の出す声は

人でなしのように冷たく響き、

息子①の声も

なぜかふざけて聞こえる。

もう痛くないんだ・・・、

ということだけに思いを馳せようと、

感傷的にならなようにとしている自分に気がつき、

愕然とする。

人はなんて複雑でやっかいな動物だろう。

特にわたしは・・。

犬はなんて単純で潔い動物なんだろう。

特に彼女は・・・。

気まぐれな私にも

一度として

駆け引きなどすることなく、

裏切らず、

疑わず、

どんなときにあっても、

愛される者として

きっぱりと

愛する者として

超然と

存在していた。

彼女の重さは、

完璧な

やさしさと勇気の

重さだった。

私もそんな風に生きたいよ。

私はでも、そんな風には多分生きれないよ。

どんなにか恐かったことだろう。

どんなにか寂しかったことだろう。

でも、もう痛くはないんだよね、

もう安らかなんだよね、

そして

だから

今は、

これで、

一度お別れなんだよね。

また会うために・・。

また必ず笑顔で会うために。

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2008年9月12日 (金)

変わらないために変わり続けること

こんにちは。

ご無沙汰しています。

この1週間暑さが戻ってきたみたいですがお元気でしたか~。

今日もいい天気ですね。

この週末は老人の日、敬老の日と続いて、

高齢者の方々を慰労し、感謝し、長寿をお祝いする日になってます。

今年は、近くのお饅頭屋さんが

紅白お饅頭を下さるということで、

お母さん、こういうのって、ちょっとうれしいですね~。

私もね、敬老のお祝いのお膳を考えていますよ。

敬老の日だからと言う割りに

大したこともできないのだけれど、

普段よりちょっとだけご馳走にして

日ごろの気持ちが伝わればいいかなと考えています。

日ごろの気持なんだけど、

先ずね、何より元気でいてね、ということです。

元気で楽しく暮らしていてほしいと願います。

ほんとうに、それに尽きるかな。

そしてもうひとつの気持ちはね、

一緒に変わっていきましょう~ということ。

何もかもが変わるのは世の常、って言うとおり、

世相も人間関係も、何よりこの体!

毎年、毎月、毎日、・・・変わっていっているのですよね。

私も、お母さんから見ればまだまだ若い!ってことになるのでしょうけど、

4●才になっていて、

このところ毎年お誕生日が過ぎるころに、

去年の体力がなくなったなぁ~と思うんですよ。

まだ若いのに、何言ってるの!って、

お叱りを受けるかもしれませんけど、

私なりにそう感じていて、

だからお母さんたちはもっと感じていることだろうと思うわけです。

あの、たけし軍団の水道橋博士、っていうタレントさんご存知かな~。

というのは、その水道橋さんが、ある雑誌でね、

「変わらないためには変わり続けねばならない」

って言うこと書いてらっしゃったんだけど、

いたく共感したんですね、私・・。

でね、感化されまして・・

ちょっと前から、

二月くらいになるでしょうか、

歩いてね、出勤しているんです。

私ほらずっと車でしょう?

足腰、ほんと自信なくて・・・

このままじゃぁな・・ってずっと思ってたんです。

で、この水道橋さんのコラムにのっかって、

ある日「歩いて通ってみよう」って、思ったの。

お気づきだったかな~。

もちろん、予定のある日は車で行きますけどね、

それがね、家からだとだいたい1時間かかるんですね。

往きは下り坂なので、ま、なんとか歩けるわけです。

でも帰り道、そうなの!下ってきたのだから帰りは上り道なわけです。

たぶん斜度は30度くらいかな~

もう、そりゃあきついんですよ。

だらだらと永遠にのぼり坂なわけです。

はじめた3日くらいは根を上げましたよ、

でもね、まだ続いているんです。

すごいでしょう~~?というのもあるのですが、

何よりやらなくっちゃ!という気持ちが強いわけです。

若さも新しさも、なくなっていくのが当然だけど、

元気でいたい、楽しくしていたいという

ベースの想いは変わらずあるわけです。

現実と心の隙間をね、

なんとかしたいと思うわけですね。

お母さんたちとの暮らしもね、

ずっと同じではいられないですね。

前によかったもの、

前によかったことも、

今もいいことかどうか、折々に話っこしましょう。

腹にはいらないこともあると思うけど、

そこは逞しい想像の翼の力を借りて、

お互い上手に変わりあって、

そして変わらないでいたいと思うんです。

そうです、

安楽で温かい人生を作るために。

敬老の日にあたり、

お願いするっていうのはおかしいことではあるんですけど、

私と一緒に

変わらないために変わり続けましょう~。

長い人生の間のひと時、

ここで、

お母さんたちと過ごした時間が、

お母さんたちにも、

私たちにも

楽しかったといえるものでありたいと

心から思います。

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2008年8月19日 (火)

歩く

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おはよう~!

ご無沙汰しちゃってるけど元気にしてる?

私は元気よ♪

おかげさまで、夏ばてもせず、食欲旺盛!

3キロも太っちゃったよ・・^^;

というわけでもないのだけれど、

歩いて通勤するようにしたの。

これってすごいことなんだ~私には。

ずっとやってみたかったんだけど、勇気なく・・^^;

で、一念発起!いつも車で走る道をウォーキング。

家を出る時間もいつもより1時間早いんだけど、

(もちろん起床時間も早くしたわよ)

なになに!!思ったとおり、いい気持ちなの~~~。

いつの間にかさぁ、もう世間は秋だよ~。

稲の匂い、ほらあの生暖かい懐かしい匂いとかするし、

朝はさ、風がねなんだか透き通ってきているのよ。

シンディ・ローパーを聞きながらね、速歩でちょうど1時間。

職場に着いて足を止めたらどっと汗!!

もう汗だくだくになるんだけど、

冷たいおしぼりで体を拭いてストレッチ、

仕事服に着替えるとね、いつもより体ね、軽いの~~。

ほんと、どうしてもっと早くやらなかったのかしら、と思うのよ。

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子供の頃はさ、ほら体育の時間とかあったし、

ま、放っておいても外で鬼ごっこや走りっこしてたじゃない。

大学卒業して体育の時間がなくなって、部活もやめて、

そう、それからいわゆる「運動」をしなくなったんだ。

大人になると運動する機会はぐんとなくなってきてさ、

車にも乗れるようになったしね、

便利だし、忙しいし、時間ないし、疲れてるし・・とか言い訳して、

でもさ、運動は本当は大人にこそ必要なのよね。

体は硬くなっていくのだもの。

放っておくと自転車だって錆びるのよね・・。

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人生を歩くために、・・・って大げさだけど、

実際ね、もっと歩かなきゃって、思ったの。

足を上げて腕を振って、体でね、

目を開けて、耳を澄まして、心でね、

私を構成しているものは、体と心。

どちらかだけではきっとうまく歩けないんだ、ってね、人生・・。

体でっかちもなくて、心でっかちもなくて、

つまり、体の記憶は心の記憶になるのね、すごく。

体が育てる心っていうのを、

ほら、今北京オリンピックじゃない?

選手たち、もう、まざまざと見せてくれるわよね~。

ああ、あなたはもう気づいてたよね?

私はね、ずっと忘れてたのね、大人になってから。

例えばね、読書!そう読書に代表される

心の運動ばかり重視してきたかもしれないと思ったの。

威張れるほどの読書家じゃもちろんないんだけどね、

ま、意識がね、どちらかというと内側にあったと思うのね。

どうしたってね、社会に出て、

それに親になるとさ、

大人にならなくちゃ、ってね、

早くわからなくちゃ!って。

でもね、ここへきてはたと気づいたの、・・遅くればせながら?

外側なのね、大事にケアしていかないといけないなって、

心をケアするのと同じ、いやそれ以上に・・!

この体で、あとさ、40年以上歩いていくのだと思うとね、

ああ、体~~ごめんね、今まで放任してた・・って思うのよ。

・・というわけで、ま、いつまで続くかわからないけど、

しばらくさ、ぼちぼちと「歩いて」みるよ。

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2008年7月28日 (月)

ほの暗い夏/ワイン

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「あなたは時々

真夏の昼間に、

戸外で飲む、

辛口の

キリッと冷えた

白ワインみたいよ。

姿がよくて、

生きがいい、

さっぱりとすっきりした、

まだ若い白いワイン。」

「まだ若いって?うそだろ?」

「うそじゃないわ、断然若いわよ。

だって、あなたは健気だもの。」

「健気だと若いの?」

「そうよ、知らなかったの?

あなたは健気でひたむき、

倦んだ真夏の昼間には是非必要よ、

熱い頭と体を冷やしてくれて

心地よく緩めてくれるもの。」

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「それに、あなたは時々

夕日が沈むころ

海の見えるテラスで飲む

赤いワインみたいだわ。

少し悲しくて切なくて

やわらかくて丸い香ばしいフルボディ。」

「悲しくて、切ないなんて、いやだな。」

「あら、でもね、悲しくて、切ないものなのよ、

あなたは澱のある深く濃いワインだから。

きちんと時間と愛情の澱を

潜り抜けてきたのだもの、

甘く香ばしく私を満たしてしまうのね。」

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「ねぇ、夏の昼間に飲むワインは

どうしてこうも大らかなのかしらね。

まぶしい日差しのような「喜び」と

突然広がる雨雲の影の作る「あきらめ」と

夕立の去ったあとの空気のような「許し」と・・・

きっとそんなもので熟成した、

葡萄畑の土のような

「信頼」の味がするからかしら。

たとえば、

こんなことずっと続くわけじゃなくても、

あなたが同じように思ってくれていなくても、

もう傷つかない。

「こうでなければ。」とか、

「こうありたい。」とか、

朝の4時までだったっけ、

泣きながら議論した遠い日々。

私はいつもこだわり続け、

あなたも譲らず・・・

そうして外が白みだした頃、

必ずこう聞いてくれたのよね。

「結局、一緒にいたいのかいたくないか、どう?。」って。

そこが終着点、行き止まり、

動けないことを知ったのよ、

どんな正論も完敗だった。」

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「私はできればね、時々、

きらきら光る

泡を抱いた

ちょっと甘めの

シャンパンになりたいと思う。

透明な

脚の長い

細長いグラスに

金色に取り澄まして

シルクのような泡を抱いて、

キュッと冷たくなって

あなたの喉を潤す。

あなたが私を飲み下すとき、

尖った喉仏はコクッと上下して、

脈がちょっと早くなり、

あなたもほんのり赤くなる。

映画見ながら、

エアコンのきいた寝室で。

あるいは

星を探しながら、

湯上りのベランダで。

あなたにね、

何かちょっといいことがあったときに、

私にも、

何かちょっといいことがあったときに。

喜ぶ時間を彩る金色のシャンパンになりたいと思うわ。

これからも続く

私達のほの暗い夏のために。ね。

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2008年7月15日 (火)

祇園祭

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水煙を上げ、たたきつけるような夕立がやんだ烏丸通り。

アスファルトを名残るように照り返す日差し。

コンコンチキチン、コンチキチン。

コンコンチキチン、コンチキチン。

祇園囃子をこうして間近に聞くのは何年ぶりだろうか。

地下鉄の出口から一歩踏み出したそこから、

祇園祭の中に飛び込んだ!、

そう、あのむんむんする、暑い熱い祭りの中に。

四条通、烏丸通、室町通り、

ここら鉾町一帯は歩行者天国になっていて、

もうすでにたくさんの人が繰り出していた。

あっという間に感染!、みるみるうちにわくわくと

体の中から興奮がエネルギーが湧き出してきた。

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一ヶ月にわたるロングランのお祭りの

13日から16日の宵山と言われる期間に

「動く美術館」とも呼ばれる鉾たちはみな、

祇園囃子の中それぞれに

自慢の前懸、胴懸、見送りと呼ばれる

インドや中国、ベルギーなどの絨毯、綴織などで飾り立て、

自慢の宝物、豪華な装飾品や秘蔵の屏風を公開、

ここぞとばかり競うかのように展覧している。

鉾、山ごとに見所はいっぱい、

とうてい一日で見てまわることなど不可能だ。

例えば、室町通り四条下がるの「鶏鉾」は、

中国尭の時代に天下がよく治まり、

訴訟用の太鼓もいらなくなって、

鶏が巣を作ったという故事にもとづいている。

この鉾の自慢は「見送り」、

トロイの王子と妻子の別れを描いた16世紀の

ベルギー製作の毛綴で重要文化財!

・・・という具合だ。

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祇園祭は869年、

疫病退散を願って始められた八坂神社の神事だが、

応仁の乱後、今のような形になったという。

それ以降の時代で、

特に戦国時代から明治時代にかけては、

鉾を保有する「町中(ちょうじゅう)」という組織が力を持ち、

お祭りは自治力、自己決定力の結晶としての存在となったそうだ。

「町中組織」がなくなった今も

京都にその精神は残っている。

そう、「晴れ」のパワーは盛大に町中にみなぎる。

祭りの期間は「晴れ」、

普段は始末をしていてもみな

家をあげて、町をあげて、

おもてなしをするのだ。

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熱気、汗、色とりどりの浴衣、

屋台のイカ焼きの匂い、

コンコンチキチン、コンチキチン。

コンコンチキチン、コンチキチン。

ここかしこ、一帯の空気は

じっとりと重く、まったりと甘く、

ミストとなって私を包み込む、

皮膚に染みこみ、

内なる水と溶け合うかのようだ。

喧騒の外、雑踏から一筋路地に入り佇むと、

一瞬ふわ~っと風が吹きぬけた。

つられて仰ぎ見る夜空はたっぷりと黒く、

目を閉じ大きく一つ深呼吸。

「函谷鉾(かんこほこ)」で厄除けちまきを買う頃には、

体にまとわりつく浴衣も気持ちよく、

深いリラクゼーションの中にいた。

コンコンチキチン、コンチキチン。

コンコンチキチン、コンチキチン。

コンコンチキチン、コンチキチン。

コンコンチキチン、コンチキチン。

祇園囃子を遠くに聞きながら、

また来年も来よう!と強く思った。

「祇園祭」

http://futti-futti.cocolog-nifty.com/photos/gionmaturi/p1060463.html

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2008年7月 7日 (月)

壬生/残景

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新撰組初代局長の芹沢 鴨が

暗殺されたというそのお座敷の

その床の間の前に坐って、

少し早い蝉の声を聞いていた。

古い家特有の黴と時間の匂い、

不思議なことにお日さまの匂い。

扇風機のゆるいぬるい風は、

開け放たれた庭の風と呼応している。

時という大きな風から見れば、

あの縁先も板の間も、

壁や屋根や土間も、

そして鴨居の刀傷でさえ、

とるにたらないものなのだろう。

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ここ壬生の八木邸は、

幕末の京都の治安維持のために活躍した

新撰組の芹沢 鴨、近藤 勇ら13名が、

白刃をもって、

不逞浪士鎮圧に奔走していた頃、

拠点にした宿所です。

新撰組の激動の歴史を目撃したこの八木家、

沖田総司が、原田佐之助が、若者達が、

お役目人斬りのあとに、

この庭をしみじみ眺め、

八木家の温かいもてなしのなか

語り合い、遊び、

そして負け戦とわかっていながらも

最後まで幕府と新政府の間で戦ったのだった。

京都の人にとっての彼らはけれど、

正義だったのか、徒党の軍団だったのか。

いずれにしても、

人はそれぞれに定められた運命を

ただひたすらに

一生懸命に

生きるのみなのだということに尽きるのだろう。

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少女の頃、四条大宮駅のほん手前に

嵐電(京福電車)の「みぶ」駅がありました。

こげ茶色の線路、枕木、

黒い油の匂い、

運転席の横に立ち、

正面に続く線路を見るのが好きだった。

「西院(さい)」から加速、

電車の窓から入る風は頬と髪を弄った。

突如減速し緩やかに蛇行すると、

降りる人も乗る人もめったにない小さな駅、

トタン屋根の民家の裏、

こげ茶色の線路の踏み切りの横にへばりつくようなホーム、

それが「みぶ」駅だった。

もう200メートルも進めば、

四条大宮、終点の駅構内なのに、

わざわざ停まる、小さな駅。

どうしてあるのと、子供心に思ったのを思い出す。

その小さな駅がなくなってもう何十年も経つが、

当時でさえ寂しいあのみぶ駅界隈の

あの静けさとだが只者ではないという空気のなぞが

今解けた、と思った。

私は私の健康な、白い膝頭に目を落として眺めた。

素足のそれは生々しくあった。

庭に目をやり耳をそばだてた、

体中をそばだてた。

自分が生きているということをあらためて、

知った。

そして思った、

時はあの線路のようにこげ茶色に続いていて、

いつかこの白い生々しい膝頭を持ったわたしもまた

「みぶ駅」になるのだ、と・・。

http://futti-futti.cocolog-nifty.com/photos/mibu/index.html

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2008年7月 1日 (火)

三つ目の願い

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平屋に住みたい、とずっと思っていて、
・・なんて、唐突だが、
近所に平屋の売家が出たので思わず見に行ってきたの。

三つの願い、とかよく言うけれど、
私の三つ目の願い(1,2は内緒!)が、
いつか平屋に住むということ。

かつて一度も平屋に住んだ経験はないのだけど、
手放しで憧れるものの一つ。平屋。

平屋は2階がない、当たり前だが。
そして家としては大きくないものが多く、
敷地に対してゆとりを持って建っていように見える。
私の平屋にはそれにガレージの奥に裏庭がついていると申し分ない。
さらに川べりか海が近くだともっといいな。

その平屋には土間があり、
居間と寝室、お風呂があれば十分だ。
そこに大きめのベッド、
テーブルにいすが2脚ぐらいがあればいい。
入り口の扉を開けると裏庭が見えるとなおいい。

私はその裏庭で野菜を少し作り、
川辺で魚や草を採る、
もう健康なんか気にしない、
なぜなら健康だから。

夜は少し怖い、
何せ平屋なので、戸締りはいたって簡単、
けれども健康なので勇気をもって眠れる。

春と夏と秋と冬、
大好きな人がやってくると、
私はうれしさのあまり足取り軽く、
トマトや茄子をもぐ。
夏には川できんきんに冷やしたビールに
お日さまの匂いのする野菜でもてなす。
大好きな人はそれをがぶりと齧り、
ゴクゴクと冷えたビールを飲む。
その姿に私は見とれるので、
大好きな人は目を細めてうれしそうに笑うことだろう。

私は大草原の小さな家のローラのように、
大きな前掛けをしているので、
顔も手も、野菜もみなそれで拭く。
それをみた大好きな人は、
ワイルドになったね、と驚くことだろう。

芋虫や蚊、蝶ちょやだんご虫とも、
ヤモリやトカゲやかえるともいずれ親しくなる。
ワイルドな女なので日焼けも気にしない。

平屋の暮らしは豊かに過ぎる、
夜がきて朝が来る。
大好きな人が来るのを私は豆を剥きながら待つ。
手先が不自由で目も良く見えないので、
なかなかたくさんは剥けないが、
それは心楽しい労働だろう。
晴れた日は裏庭で剥く。
春風が頬っぺたをなでるので
ああ、眠たいな~と思っているうちに、
私は逝くのだ、
そんな平屋がいつかほしいと思う。

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2008年6月23日 (月)

野百合/唯心

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雨に濡れそぼった野百合に、不意に出会った。

緑にむせかえる山の坂道で。

薄いピンクの花一輪、

なんでかわからないけれど出会った瞬間に、

ああ、母だ・・・と、思いました。

近寄ってじっと眺めてみて、

やっぱりこの野百合は母だな、と。

872

わかり合うということは難しいんだ、ということを、

私の心に最初に刻んだのは、多分母だと思う。

ピアノのレッスンをサボるためにつく

私の小さな嘘やごまかしを哀しみ、

お出かけには紺色に白襟のワンピース、

お誕生日にはリカちゃん人形よりも

小豆の入ったお手玉に、

ポプラ社の本を与えた母。

寝る前には毎晩枕元で、

童話を読んでくれた。

私が赤い洋服が欲しいと言ったき、

私がピアノをやめると言ったとき、

私が語学留学をしたいといったとき、

私がボーイフレンドと出かけるとき、

うふふ、いちいち衝突したね。

900

大人になって、

私は自由になったけど、

わかり合うことはますます難しいよ、

人と意思をあわせて暮すのは。

自分の意思ですら、

何かのきっかけで変わるのだものね、

同じものを見ても、

感じ方は人それぞれなんだよ、ね。

事実は一つでも、

現実は一つじゃないってこと、

それぞれの人にとっての現実が

その人の数だけあるってこと。

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この野百合を見て、

私はおかあさん、あなたを思いました。

あなたの正義感、慈愛、強さ、純真を。

6月の雨は冷たく温い。

濡れそぼった花びらの水滴、

この花びらの水滴は

おかあさん、あなたの汗と涙だよね。

ひとりひとりが考えていることは違う。

わかってくれてるって思ってるだけで、

本当はわからないのよね・・・・。

、ってことも忘れちゃうんだよね、普段。

でも、それでいいよね、

何年も何年も経った6月のこんな雨の日に、

こうして分かり合えることもあるのだから。

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